エメラルドの含浸処理:国際基準(LMHC)と国内の宝石鑑別協議団体(AGL)の基準の比較

エメラルドと言えばオイルの含浸処理と言っても過言ではないほど、エメラルドには一般的にオイルの含浸処理が行われていると言われています。
エメラルドに対する含浸処理については、Laboratory Manual Harmonisation Committee(LMHC)という国際基準を設けるための団体により、「含浸の有無」だけでなく「含浸の程度」も含めた分類の基準が定められていますが、これは含浸の程度がエメラルドのルースの希少性(ひいては、価値)の評価において重要になってくるからです。
しかしながら、2022年5月現在において、日本の宝石鑑別協議団体(AGL)の鑑別基準では含浸の有無しか分類がなく、国際基準とはずれが生じています。
今回はこの点についてまとめてみます。

エメラルドに対する含浸処理

含浸処理とは?

市場に出回っているエメラルドのほとんどには、オイルの含浸処理が行われていると言われています。このオイル含浸というのは、石の内部から表面に達している亀裂にオイルをしみこませることにより、クラリティを改善するための処理です。
クラリティの改善というのは、亀裂を目立たなくすること、悪く言えば、欠点が見えなくなるように隠すことを意味します。
・・・と言うと聞こえが悪いですが、エメラルドには、自然界での結晶成長時や採掘の段階で石の内部から表面に達する亀裂が生じやすく、採掘された段階で品質を判別するために無色のオイルに漬けることが大昔から慣習的に行われてきているので、オイル含浸は一般的には「問題がない」タイプの処理だとされています。
GIAのエメラルドの鑑別書のコメント欄(以下の写真参照)にもこのことが明示されています。

GIAのエメラルド鑑別書のコメント欄。”[C]larity enhancement is a common trade practice.” (意訳:含浸によるクラリティの改善はエメラルドの商取引において一般的に行われている)と書かれている。

また、近年ではオイルではなく樹脂(天然または人工)による含浸も行われるようになってきています。
この樹脂含浸については必ずしも伝統的な処理方法ではない(特に人工の樹脂の場合)ような気がしますが、少なくとも日本の鑑別機関ではオイルなのか樹脂なのかは問わず「(無色)透明材の含浸」として扱われてきていますし、GIA等の国際的鑑別機関でもオイルの含浸と樹脂含浸を一緒くたにして扱っています。
もし樹脂含浸が「問題がある」タイプの処理に当たるのであれば、どの鑑別機関でも処理がされていることを明記しようとするはずですから、それがされていないということは、樹脂含浸は(エメラルドの場合は)問題があると見なされていないと言えるでしょう。

ぱっと見はあまりインクルージョンがなさそうに見えても、強い光を当てると縦横無尽にインクルージョンが走っているのが見えたりする。これらが表面に達していると面キズとなり、そこから含浸処理が行われる。

含浸処理は本当に「問題がない」処理なのか?

ということで、エメラルドに対する含浸処理は問題がないというのが一般的な認識ではありますが、色々と情報を精査してみると、常に問題なしとは言い切れないことが分かってきます。
かなり細かいマニアックな話ばかりになりますが、自身の経験や本等から得られる情報をもとに、品質の良いエメラルドを購入しようと考えているなら知っておくべき点などを書いていきます。

含浸の有無が価格に及ぼす影響

「エメラルドに対する含浸処理は問題がない」というフレーズは、無色のオイル(または樹脂)含浸がされているという理由でエメラルドの金銭的価値が大きく下がってしまうことは無い(無色のオイルが含浸されているという前提で相場が形成されている)という意味合いで使われています。
ヒスイ等のエメラルド以外の石については含浸がされていないのが当たり前で、含浸処理がされると「処理石」扱いとなり金銭的な価値がほとんどないと見なされますが、エメラルドについては含浸がされていても「まともな宝石」として見なされるということです。
(エメラルドの場合、含浸がされていない石はより希少性が高いということで価値が高くなります。いわゆるノーオイルとかノンオイルと言われるのはこのタイプの石です。)
ただし、エメラルドの含浸には問題がないとは言っても、有色のオイル・樹脂によって色調の改善までなされた石は処理石扱いとなり宝石としての価値は付かなくなるので、購入する場合は勘違いしないように注意が必要です。
(※このページで扱っている「含浸」は、無色のオイル・樹脂の含浸を指しており、有色のオイル・樹脂の含浸は含んでいません。)

販売時の含浸処理の開示について

ジュエリー業界では、まともなお店であれば天然石に対する処理の有無を明示して販売します。
ただし、エメラルドの含浸処理に関しては例外で、これは当たり前に行われている処理なので「問題がない」ということで、含浸処理を明示しない(もちろん、尋ねれば詳しく説明してくれる)お店が一般的です。
感覚としては、ペットショップで「この犬はおしっこをしたりウンチをするので臭いが発生する場合があります。」みたいな当たり前ことまでいちいち注意書きを付けないのと近いかもしれません。
もちろん、無処理のエメラルドについては希少性をアピールするために「ノーオイル!無処理!」と明示されますが、含浸処理がされているエメラルドをあえて「含浸エメラルド」として販売しているケースはこれまでに1件しか見たことがありません(真面目なお店だなと思ったんですが、同じお店で売られているその他の含浸処理されたエメラルドには「含浸」と付いていなかったので、お店の方針でそうしているとかいうこともなさそうでした。あれは何だったんでしょう?)。

含浸の程度が価格に及ぼす影響

ある意味当然と言えば当然ですが、エメラルドの価値の評価は含浸の程度によっても変わってくる可能性があります。
結晶の質が良く面キズが少ないエメラルドであれば軽度の含浸をするだけでも充分美しく見えますが、面キズが多いエメラルドの場合は含浸の量を増やさないときれいに見えないわけで、含浸処理の結果として見た目が同程度の美しさになったとしても、本来の希少性が異なるためです。

宝石のプロの中にも、含浸の程度がエメラルドの価値に影響すると明言している人もいます。
宝石の質をジェムクオリティ(高品質)、ジュエリークオリティー(中程度の品質)、アクセサリークオリティー(低品質)に分けるという考え方が諏訪恭一氏の著書『宝石1』や『宝石2』等で提唱されてからかなりの年月が経ち、最近では一般の消費者でもこうした概念があることを認識するようになってきていますが、その諏訪恭一氏によると、含浸の程度が軽度であることがエメラルドのジェムクオリティの必要条件(の一つ)であるとのことです。
一般には「エメラルドの含浸は問題ない」とされていますが、諏訪恭一氏の複数の著書の記述から、これはそもそも軽度(甘く見ても~中程度まで)の含浸を前提にした話であるということが見えてきます。

すでに述べてきたとおり、販売者側は含浸の有無を明示しないのが普通だという感覚を持っているので、当然ながら「含浸の程度」が明示されることも少ないです。
ネット等で情報を調べても、この点を問題視している雰囲気は販売者側だけでなく購入する側にもあまりないように感じます。
しかし、含浸の程度はエメラルドの価値判断に一定の影響を持つものであるため、これを把握することは購入する側にとってもメリットがあることだと言えるでしょう。

含浸処理と耐久性

エメラルドは脆い石だということでも有名です。
「面キズ=亀裂」なので、面キズの量はエメラルドの耐久性と相関があります。
エメラルドに対するオイルの含浸については、処理によって面キズが隠れたとしても、面キズそのものが無くなるわけではないため、石そのものの耐久性は向上することもなければ下がることもないはずです。
ただし、含浸処理によるクラリティの改善(面キズが隠れる度合い)と面キズの量には一定の関係があり、含浸処理の量を増やさないときれいに見えないエメラルドだということは、その石にはもともと亀裂がたくさん入っているということになるので、ちょっとした衝撃で破損してしまうリスクもより高くなることが予想されます。
誰しも耐久性が少しでも良い石を選びたいと思うわけで、含浸処理の程度が少ない(軽度の含浸で充分美しく見える)石の方が需要(≒価値)が高くなるのが自然です。

樹脂の含浸に関しては、オイルとは異なりエメラルドの耐久性を(ある程度は)向上させる効果があるようです。
Gübelin Gem Labによると、樹脂含浸は低品質の石に対して行われやすいとのことです(ヒビだらけで耐久性に問題があるような低品質のエメラルドでも、樹脂含浸を行うことで耐久性を増しジュエリーに使用することができるようになるため)。
また、SSEF(世界最高峰の鑑別機関の一つ)は、ハイエンド商品(一般人には到底買えないような高額品を指すと思われる)の売買においては、伝統的に行われてきたオイル含浸の方が、近年になって行われ始めた樹脂含浸よりも好ましいと判断されると述べています。
後でも述べるように、大半の鑑別機関では(加えて、宝石店でも)含浸物質がオイルか樹脂かは区別していませんが、もとの結晶の品質が高く軽度の含浸処理でも美しい石(=仮に樹脂が含浸されてもその量がわずかで済む石)を選ぶことが、耐久性の面でも価値の面でも望ましいことになります。

含浸処理と経年変化

含浸(特に、オイルの含浸)処理がされた石は、徐々にオイルが抜けてしまい、購入時点では見えなかった亀裂がはっきり見えるようになったり、(亀裂が白く光るのでその結果として)色が褪せたように見えたりするなど、経年変化を起こします。
オイルが抜けてもまた繰り返し含浸できるということもあってか、一般的な市場ではエメラルドとはそういうものだという認識で売買がされているわけですが、エメラルドの美しさが永遠に続くと思って購入した人にとって、こうした経年変化が生じることは大きな「問題」になりえます。
こうした経年変化は、含浸の程度が軽いほど起こりにくく、含浸の程度が甚だしいものほど起こりやすくなるはずなので、宝石の美しさが長く続いてほしいと考える多くの購入者にとって、含浸の程度の把握はやはり重要になってきます。

樹脂の含浸であれば、オイルに比べると抜けてしまいにくいので、経年変化を避けるという点では良いかもしれませんが、すでに述べたように樹脂を使用することで必ずしも良い評価にはつながらない可能性が生じるため、それを良しとするかどうかはその人の価値観次第となります。

含浸の有無や程度を知る方法は?

エメラルドに対する含浸処理は、面キズ(結晶内部から表面に達している亀裂等)に対して行われるため、面キズが多いほど含浸処理の影響を受けやすく、逆に面キズが全くなければそもそも含浸を行うことができません。
つまり、鑑別の技術を持たない一般人であっても、面キズの有無や多さを調べることで含浸処理の有無や程度をある程度推測することができます。
ただし、エメラルドの面キズは慣れないとルーペで見てもなかなか見つけるのが難しく、ジュエリーにセットされた状態だと余計に見るのが難しくなるので、一般人が自分で含浸の有無や程度を把握するのは困難です(筆者自身、石は割と見てきている方だと思いますが、いくらルーペで見てもエメラルドの含浸の有無や程度は正確に見分けられません)。
というわけで、やはり鑑別機関に依頼して判断してもらうのが確実だということになります。

同じ石でもちょっと角度が変わるだけでインクルージョンの見え方が大きく違ったりするので、面キズの量を確認するには様々な角度から見なければならず、素人にはなかなか難しい・・・。

エメラルドの含浸処理:国際基準と国内基準の比較

さて、前置きがとても長くなりましたがここからが本題です。
エメラルドに対する含浸処理については、Laboratory Manual Harmonisation Committee(LMHC)という国際基準を設けるための団体により、「含浸の有無」だけでなく「含浸の程度」も含めた分類の基準が定められていますが、2022年5月現在において、日本の宝石鑑別協議団体(AGL)の鑑別基準では含浸の有無しか分類がなく、国際基準とはずれが生じています。
この点について、以下で具体的に見ていきましょう。

エメラルドの含浸処理の鑑別に関する国際基準

エメラルドの含浸処理の表記に関して、LMHC Standardised Gemmological Report Wording (version 5: December 2014) では以下のような基準(分類)を定めています(※下記1~5までの番号は筆者が付けたものです)。

LMHC Information Sheet #5におけるエメラルドの含浸処理の分類
  1. No fissures or No fissure filling / No indications of clarity modification
  2. Indications of fissure filling / Indications of clarity modification
  3. Indications of cavity filling
  4. Indications of coloured fissure filling / Indications of clarity and colour modification
  5. Emerald with/and resin (manufactured product)

1のカテゴリは “[a]ny emerald that has no fissures or does not show indications of having undergone modification through the filling of fissures with oils, resins, wax or any other filter” と定義されており、面キズがなく含浸処理の影響を受けないか、もしくは透明材による含浸の痕跡が見られないものに該当します。
いわゆるノーオイル、無処理と呼ばれるものに当たります。

2のカテゴリは “[a]ny emerald that shows indications of having undergone modification through the filling of fissures with colourless to near-colourless oils, resins, wax, or any other filler” と定義されていて、いわゆる一般的な透明材による含浸処理されたエメラルドが該当します。
LMHCでは、鑑別書の記載事項のオプションとして、含浸の量も示すことができると定めています。

【LMHCによる含浸処理の程度に関する分類:LMHC Standardised Gemmological Report Wording (version 5: December 2014)より】

© Laboratory Manual Harmonisation Committee

上記の分類について注意すべきなのは、対象となるのが含浸の程度であって、面キズやインクルージョンの多さを示しているとは限らないという点です。
面キズだらけで低品質なエメラルドであっても、含浸が行われていなければ分類上は上位(「含浸の痕跡なし」など)のカテゴリに入ることもあり得るということです。

3のカテゴリ(Indications of cavity filling)は少なくとも日本国内ではあまり見かけない気がしますが、定義としては “[a]ny emerald that shows indications of having undergone modification through the filling of wide fractures and/or cavities with colourless to near-colourless resins or wax” とされています。
2のカテゴリとの違いは、fissuresではなくwide fractures and/or cavitiesとなっている点と、透明材としてオイルが含まれていないという点です。
これは、大きな亀裂や結晶の窪みが樹脂等で埋められた状態(日本の鑑別基準で言うところの充填に近いもの)を指すものではないかと思います。
こちらも、充填の量(程度)を示す表示がオプションとして用意されています。

【LMHCによる充填処理の程度に関する分類:LMHC Standardised Gemmological Report Wording (version 5: December 2014)より】

© Laboratory Manual Harmonisation Committee

4つ目のカテゴリはいわゆる有色透明材含浸のタイプで、”[a]ny emerald that shows evidence of having fissures filled with coloured agents that have an effect on the colour” と定義されています。
このタイプの石は、すでに述べた通り「処理石」扱いになりまともな宝石としては扱われないのが普通です。

5つ目のカテゴリの定義は長いので省略しますが、簡単に言うと亀裂に染み込ませた樹脂により接着されていて、樹脂が取り除かれたら真っ二つ(またはそれ以上のパーツ)になってしまうような状態の石を指すようです。
やはり、まともな宝石としては見なされないので、ジュエリー系のお店ではそもそも扱われないと思いますが、パワーストーン系のお店や原石に近いようなお店で極端に安く売られているようなものの中にはこの手の石があるかもしれません。

LMHCの基準では、鑑別書における文言や記載事項についてオプションを用意し、どれを使うかは各鑑別機関に任せる形が取られています。
以下では、日本の無処理エメラルドの鑑別で最近最も良く見かけるなと感じるGIAがどのような記載を行っているかを例示してみます。

例:GIAの鑑別書での表記

GIAのエメラルド鑑別書の例。なお、写真は筆者の私物を撮影したものです。

上で紹介したLMHCの5つのカテゴリのうち、1つ目と2つ目(無処理と通常の含浸処理)に関して、GIAのエメラルドの鑑別書では、含侵処理の有無や程度に応じて以下の表のような5段階の表記が設定されています。
(LMHCの3~5つ目のカテゴリについても別途基準が用意されているかもしれませんが、そもそも見かけません。価値の低い処理石だと石自体の値段よりも鑑別料金の方が高くなってしまう(GIAは料金がお高い)し、処理が証明されることでむしろ買われなくなってしまうので、誰も鑑別に出さないからでしょう。)

【GIAにおけるエメラルド鑑別書の分類】

エメラルドの状態 鑑別書での表記
面キズなし (No fissures present) None
含浸の痕跡なし、または極めて微量の含浸 (No or insignificant clarity enhancement) No indications of clarity enhancement
含浸の量:軽度 Minor clarity enhancement (F1)
含浸の量:中程度 Moderate clarity enhancement (F2)
含浸の量:重度 Significant clarity enhancement (F3)

実際のGIAの鑑別書では、表が左右の並びで作られていますが、ここでは便宜上行列を入れ替えて表を作っています。
表の上に行くほど含侵の程度が少なく、下に行くほど含浸の量が増えていくイメージです。

含浸処理がされていない(いわゆるノーオイル)と見なされるのは表の上2つのカテゴリー(NoneとNo indications of clarity enhancement)です。
もっとも上のNoneは面キズがない=含浸させる亀裂がないので含浸処理がそもそもできないという状態を指していて、最も理想的な状態と言えますが、ある程度の大きさがあるエメラルドでこのNoneに該当するものは滅多になく(実際、ネット上等で探してもNoneが付いた鑑別書が付いているルースはほとんど見かけません)、ノーオイルのエメラルドとして通常見かけるのはNo indications of clarity enhancementのタイプです。

含浸処理がされている場合、含浸の程度によってF1~F3までの3段階に分けられています。
GIAのウェブサイトに、よくある質問(On a Laboratory report for a treated emerald, what does F1, F2 and F3 mean?)への回答のページでF1~F3の意味に関する説明がされていますが、そこでの説明では、「フェイスアップでの見た目に関して、F1は含浸処理がほんのわずかしか影響しないことを、また、F3は含浸処理が明らかに影響することを示す」とされています。

諏訪恭一氏の著書『品質が分かるジュエリーの見方』によると、ジェムクオリティーに該当する条件の一つはF1であることであり、いかに美しく見えたとしてもF2以下の場合はその時点でジェムクオリティーではないと判断されるそうです。
筆者(ペットくん)が良くお世話になっているお店ではノーオイルかF1だけしか扱わないことにしているようで、尋ねてみたところ「うちではF2以下は仕入れません」と仰っていました。
(ただ、聞いたら教えてもらえるものの、特にお店のホームページ上等で明示はしていないようです。そういったポリシーを持ってやっているという点はもっと前面に出してアピールしないともったいないような気もしますが・・・。)

以上のように、同じ含浸処理されたエメラルドであっても、含浸の量によって評価・価値が変わってくる場合があります(具体的には、F1かF2(またはそれ以下)かが価値判断の際の重要な境界線になっているようです)。

GIAの「含侵の痕跡なし」の定義について

GIAのNo indications of clarity enhancementのカテゴリの定義をよく見ると、insignificant clarity enhancement(極めて微量の含浸)が含まれていて、「含浸の痕跡なし」という内容とは矛盾するように見えますが、LMHCの含浸の程度の定義に “Opaque sesidues of resins or oils that remain behind within fissures following ‘cleaning’ or through deterioration shall not be reported upon within the context of this IS.”(意訳:洗浄または経年変化等により樹脂やオイルが不透明な残留物として面キズ内に残っていても、それらはこの含浸判定の対象とはしない)という注が付けられていて、それに沿ったものだろうと考えられます。
また、これは無処理エメラルドが研磨されるまでの工程とも関係しているかもしれません。
諏訪恭一著の『宝石2』には、採掘されたエメラルド原石は内部の状態を観察しやすくするためにベビーオイルに浸されるのが普通であることや、無処理エメラルドは原石をしっかり洗浄してベビーオイルを取り除いてから研磨することで仕上がるものであること、また、ベビーオイルを完全には取り除けていなくても(諏訪氏の見解では)無処理であると判断されることなどが記述されています。
仮に正確な機械でオイルの量を測定して検出されなかったとしても、機械の検出限界を下回るわずかなオイルが残っている可能性はあるので、あまり厳密なことを言いすぎるとノーオイルの判定が出せないことになってしまい、それはそれで問題になります。
GIAのinsignificant clarity enhancementは、この「オイルを完全には取り除けていない状態」を指していて、一定の基準に照らして無視できる程度の量の場合は「なし」と見なすという現実的な判断なのでしょう。
(後ほど議論するように、鑑別機関の間での判定(含浸の有無に関する見解)に相違が出てくる可能性が考えられますが、これは検出限界の基準や検出方法の違いが鑑別機関によって異なることに起因すると思われます)。

別の例:GRSの場合

GRSの鑑別書というとルビーやサファイアに付けられていることが多いイメージですが、エメラルドに関しても独自の基準を設けています。
以下に示すように、GRSはGIAとは分類の仕方が若干異なりますが、含浸の程度まで示すという点ではやはり共通しています。

【GRSにおけるエメラルドの含浸の分類】

1. None
2. Insignificant
3. Minor
4. Minor to Moderate
5. Moderate (filler mentioned if resin)
6. Prominent (filler mentioned if resin)

(GRSウェブサイト “https://www.gemresearch.ch/reports/enhancement-disclosure” より。最終アクセス日:2022年5月24日)

上記の分類のうち、上に行くほど含浸の量が少なく、下に行くほど多いことになります。
GRSの特徴(?)としては、含浸の量が多いカテゴリ(ModerateとProminent)については、含浸物質が樹脂の場合はその旨記載する(filler mentioned if resin)という形になっていて、条件によっては含浸物質の種類まで示される点を挙げることができます。
また、GRSでは含浸の痕跡はないが面キズがある(鑑別書取得後に含浸処理を行ってクラリティ改善が行われうる)場合には “Non-enhanced clarity features present” と記載され、また、その程度が見た目に応じて very minorやminor、prominentのように分類されるとのことです。

これだけでも、一般的な鑑別機関と比べるとGRSは細かい情報開示がなされるなという印象ですが、たまたまエメラルドの含浸に関する情報を集めている際に、2022年1月15日からエメラルドの含浸に関する記述方法にさらに情報が追加されるというGRSの告知(Adjustment to terminology on GRS reports for emeralds)を見かけました。
新しく加えられるのは、None(含浸の痕跡なし)と判断されたエメラルドに関して、その後含浸処理が行われたとしたら含浸の程度がどのくらいになると想定されるかを示すコメントです。
例えば、鑑別時点では含浸の痕跡がないが、面キズが存在し、もし将来的に含浸処理が行われたらMinor to Moderate相当になるであろうという石の場合、鑑別書のコメントではNoneに加えて “Clarity potentially improvable by post-testing treatment. Estimated enhancement grade “Minor to Moderate”. のようなコメントが付けられるようになるとのことです。
繰り返しになりますが、含浸処理は内部から石表面に達した面キズに対して行うものなので、面キズが全く無い場合は含浸処理をしようがありません。
そのようなパーフェクトな石に関しては、上記のような追加コメントは入らず、単にNoneと記載されるようです。

さらに、GRSでは含浸物質がhardened resin(よくわからないですが、硬化ポリマー?)の場合、含浸の量によらずその旨が記載されるのだそうです。
後ほど少し触れますが、含浸物質の種類についても問題になる場合があるようで、GRSとしてはそうした面に関する情報開示も行うことが良いと判断しているようです。

GRSは他の鑑別機関に先んじて(若干空回り気味なくらい)色々な方針を打ち出しているイメージがあり、エメラルドに関しても先進的な取り組みをしているなという印象です。
一般消費者からすれば、細かい情報を開示してくれている方が購入時の参考になるのでありがたいですし、歓迎すべきことだと感じますが、販売者からするとここまで詳しく情報開示されたら困るよ!と言いたくなるかもしれません。
自分の経験では、エメラルド(少なくとも日本で販売されているもの)にGRSの鑑別書が付いているのはあまり見かけないですが、細かい情報が書かれすぎるから販売店に敬遠されてるみたいな感じなんでしょうかね?

エメラルドの含浸処理の鑑別に関する国内の基準

日本の宝石鑑別協議団体(AGL)が定める鑑別基準では、エメラルドの含浸については含浸の有無の表示(含浸あり・なしの2分類)のみとなっていて、LMHCが定める国際基準とは異なっています。
AGLルールでは、含浸の痕跡が認められた場合、鑑別書には「無色透明材の含浸が行われています」と記載されます(最近は、「無色」が取れた「透明材の含浸」という表記も見かけます)。
また、通常の検査で含浸の痕跡が認められない場合でも、「含浸なし」とは記載されず、「通常、無色透明材の含浸が行われています」という表示がされることになっています。
ただし、FTIR等の高度な分析を行って、その結果を別途分析報告書として発行することは認められていて、国内の大手の鑑別機関では別途料金を支払うことでいわゆるノーオイルの鑑別書(+分析報告書)を発行してくれます。

一方、AGLルールでは含浸の程度については考慮されないので、含浸が行われていれば、その程度によらず「無色透明材の含浸が行われています」という表示となります。
日本の最大手の中央宝石研究所さんは、含浸の程度まで含めた国際基準を作っているLMHCのメンバーでもあり、本来であれば含侵の程度まで踏み込んだ記載をしてもらいたいところですが、AGLのルールに則る必要があるためか、鑑別書に「含浸の程度」の記載はされていません。
中央宝石研究所さんに限らず、他の国内鑑別機関でも同様です。

中央宝石研究所さんのソーティングの例。取得した時期が10年ほど前になるので文言が現在とは若干異なるが、含浸の有無のみの記載である点は変わっていない。

一つ補足しておくと、LMHCの基準では「含侵の程度」の表示はオプションということになっているので、含浸の程度を記載しなくてもLMHCの基準に反していることにはなりません。
ただ、国際的に有名な鑑別機関はエメラルドの含浸の程度まで記載する形になっているので、それと比べると日本のエメラルドの鑑別書は物足りない感じがするのは否めません。

国内の基準と国際基準のずれによって起こりうること

現状だと、国内の鑑別機関でエメラルドの鑑別書を取ると、含浸の程度が軽度のものでも重度のものでもすべて「含浸あり」というカテゴリに一括りにされてしまいます。
それを逆手にとって、含浸が軽度なのに安く売られている石を見つけてお得に購入するというようなことも理屈上は可能ですが、含浸処理の程度は素人(筆者を含め)がパッと見ただけでは判断が難しいです。
また、通常は含浸の量に応じて値段が付けられているはずで、GIAの分類(上記の表参照)でいうF1のエメラルドがF3の値段で売られるというようなことはまずないと考えられます。
含浸の程度によらず同じ「含浸あり」というカテゴリになるということは、品質が低いものでも品質が高いような印象を与えることができるということなので、むしろF2のエメラルドがF1(またはF3のエメラルドがF2)の値段で売られるようなケースの方が多そうな気がします。

販売する側からすれば、高品質(F1ランク)のエメラルドについてはGIA等で鑑別書を取り含浸の程度が少ないことを売り文句にする一方、それほど品質が高くないエメラルドについては国内の鑑別書を付け、含浸の程度についてはあえて触れないようにしておけば、虚偽の説明をすることは避けつつ、購入者に錯覚を起こさせることが可能になるので、現状のシステムは都合がいいのかもしれません。
AGLに所属していない鑑別機関では、含浸がされているかどうかすら記載されない(「一般にエンハンスメントが行われている」という曖昧な表記のみ)こともあるので、それに比べれば含浸の有無が明記されるだけでもありがたいと言えるかもしれませんが、これまで述べてきたように、含浸の程度も石の価値に極めて重要な影響を及ぼす要因であるので、購入する側にしてみれば現状のAGLの基準は何とかならないかなと思ってしまいます。
何にしても、高額品の購入時は特に注意が必要でしょう。

日本の鑑別機関の基準は甘いのか?

LMHCによる国際基準に比べると、エメラルドの含浸処理に関する日本国内の分類は大雑把であることは上で見てきたとおりです。
しかし、日本の鑑別機関の基準が甘いのかというと、ノーオイル(含浸なし)の判断という点では、必ずしもそうとは言えない面もあるようです。
GIAのノーオイル鑑別書の付いたエメラルドを数多く扱っているお店の人の話では、中央宝石研究所さんにノーオイル鑑別を依頼すると、分析機器が人間がちょっと指で触った程度の油分(皮脂)でも検知してしまうのでなかなかノーオイルという結果が出ない(言い換えるとGIAの方がノーオイルが取りやすい)んだそうです。
筆者自身が同じ石を複数の鑑別機関に出して比較したわけではなく、あくまでお店の人から聞いた話なので断言はできませんが、ルビー・サファイアの非加熱鑑別に関して鑑別機関による見解の相違が見られる場合があるのと同様、エメラルドの含浸なしの判断について、鑑別機関による見解の相違が生じたとしても不思議ではないな、とは思います。
関連する話題として、ノーオイルのエメラルドを扱う際には素手で触れないようにした方がいいとも聞きますが、あまり気にする必要はないという人もいて、いまだにどうすべきなのか分かりません。
個人的には、石に気軽に触れて楽しみたいタイプの人間なので、後者であることを願うばかりです。

エメラルドの含浸物質の特定について

LMHCの定める基準では、エメラルドの含浸物質が何であるか(オイル、樹脂、ワックス、・・・)を特定して鑑別書に記載することもオプションとして認められています。
が、2022年5月現在では、含浸物質の特定までして記載する鑑別機関はSSEFやGübelin Gem Lab、また、上で紹介したGRS等の一部の機関を除くとほとんど無いようです。

現状では含浸物質が何であるかにこだわる人は少ない印象ですが、将来的にオイルはいいが樹脂はダメだ!というような人が増えてきて、より多くの鑑別機関が含浸物質を特定して鑑別書に記載するようになるとすると、昔買った高額なエメラルドの鑑別書を取得してみたら「樹脂」の方で、財産的価値がほぼゼロになってしまった、みたいなケースが出てくる可能性がないとは言い切れません。
そうした可能性まで考えるならば、無処理のエメラルドか、もしくはF1のエメラルド(仮に樹脂含浸だとしても量自体が軽度)を選ぶのが賢い選択肢と言えるかもしれませんね(※この点については次節もご参照あれ)。

最後に補足

鑑別書のクラリティーの記載だけで判断するのは危険かも

含浸の度合いまで記載されている鑑別書が付いていると購入する側としては安心できますが、鑑別書の記載だけに基づいてその石に関する価値判断をしてしまうのは危険です。
含浸の度合いが少ないほどエメラルドとして価値が高くなるというのは確かにその通りなのですが、それはあくまで「見た目やサイズ等が同程度の石について比較した場合」という前提での話です。
含浸がされていない(または軽度である)からと言って、必ずしも見た目が美しいとは限りません(極端な場合、傷だらけで全く美しく見えなくても含浸処理がされていなければ鑑別上は無処理となるわけですから)。
また、エメラルドの発色は、「不純物」として結晶内に取り込まれたクロムやバナジウム等によるもので、これらが結晶内に入り込む量が増えるほど色は濃くなる反面、結晶に亀裂が生じやすくなるという関係にあるので、含浸処理しなくてもキズが目立たないエメラルドはどうしても色が薄くなりがちです。
ノーオイル(無処理)とか含浸の程度が軽度ということにこだわりすぎると、エメラルドとしての美しさに欠けた石を選んでしまうことになりかねないので注意しましょう。
より価値の高いエメラルドを手に入れたいということならば、狙うべきは、含浸なしまたは軽度で、かつ美しい石だということです。

実際には、大富豪でもない限り予算に限りがあるので、F1だが色が若干残念なエメラルドと、F2だが色がとても良いエメラルドの間で迷う、みたいなことになりがちですが、その場合は自分の判断基準に従って選択すれば良いでしょう。
必ずしも「ジェムクオリティ」にこだわる必要もないし、色石の場合やはり色の良さが満足度と大きく関係するように思うので、自分の惹かれるものとの出会いを大切に!

鑑別書の含浸処理の記載はあくまで検査時点での状態を示したもの

国外の鑑別機関であれ国内の鑑別機関であれ、含浸処理に関して鑑別書に記載される内容は、あくまで「検査時点でのその石の状態について検査した結果」です。
LMHCのInformation Sheet #5にも、このことを強調するための文言が用意されていますが、これが意味するところとしては、鑑別書を取った後で含浸処理がされるというケースが結構あるということなのでしょう(上で紹介したGRSのやり方などは、そうした問題に対する一つの対応策とも言えます)。
信頼できるお店であればこうした心配をする必要はないですが、ネットオークションや海外からの購入の場合はそういった可能性にも注意しておき、特に高額品の場合は購入時に再度鑑別書を取りなおしてもらう(それを断るような相手からは買わない)くらい保険をかけておいてもやり過ぎではないかもしれませんね。

参考文献

  • Laboratory Manual Harmonisation Committee (2014) “LMHC Information Sheet #5: Emerald – fissure filling / clarity enhancement” Version 4, December 2014. (Available at https://www.lmhc-gemmology.org/)
  • 諏訪恭一(1999)『改訂版 宝石1:品質の見分け方と価値の判断のために』世界文化社.
  • 諏訪恭一(2002)『改訂版 宝石2:品質の見方と価値の判断のために』世界文化社.
  • 諏訪恭一(2019)『品質がわかるジュエリーの見方』ナツメ社.

1 COMMENT

ペットくん

このページの内容に関してコメントをいただいたので、以下に記載させていただきます。
(氏名欄にコメントをしてくださった方の本名と思われるお名前が記載されていたので、直接返信してしまうとお名前が公開されてしまうので、このような形にさせていただきました。)

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エメラルドの含浸処理について、このように詳しく解説してくださって感謝します。
実は、今年になってエメラルドが気になり始め、お店を何軒か巡りました。老舗宝石店ではすぐに「含浸処理されています」と説明がありました。ペットくんさんの記事を拝読していれば、その時に突っ込んで質問できたのに、と残念です。
その後、縁があってアンティークショップのイギリスの20世紀初頭のエメラルドリングを購入しました。小さいエメラルドですが、色がザ.エメラルドのグリーンで透明な石でした。その頃であれば、樹脂の含浸処理はされてないのかな、と少し嬉しく思いました。わかりやすい記事をありがとうございました、
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コメントをどうもありがとうございました。
(ずっと気付かず放置状態になってしまって失礼いたしました。)
エメラルドの含浸に関する解説が参考になったのでしたら何よりです。
エメラルドに限らず、宝石は処理の有無や色や輝きで市場価値が大きく変わるものですが、自分が心惹かれるかどうかを基準に選ぶのが長い目で見たときに良い買い物だったと思えることが多いように感じます。
アンティークのエメラルドリングとの素敵な出会いがあったとのこと、ぜひ大事になさってください。

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