パワーストーンの効果については実に様々な言説が飛び交っています。
以前の記事でちらっと紹介した、貴石はパワーストーンとして使えるか?というのはそうした論点のうちの一つであるわけですが、今回は「原石とルース(研磨品)でパワーに違いがあるか?」という点についての話になります。
もくじ
原石とルースの違い:個人的な経験と見解
とても個人的な話になりますが、コロナ禍が始まってから仕事がリモートになり、ずっと家にいてほとんど人とも会話しない生活が始まって1年ほど経過したころから、軽いうつ病を発症しました。
うつ病といっても、精神科の先生からとても軽いと鼻で笑われるくらいのもので、短期間で治ったんですが、面白いことに、その時期を境にして石に関する好みが大きく変わるという、自分の中ではとても大きな変化が生じました。
具体的に言うと、もともとは宝石質のルースばかり集めていたのが、原石に惹かれるようになり、それ以降は購入するものの大半が原石になりました。
「原石とルースでパワーが違うのか?」という話題については、以前はわりとどうでもいいことだと考えていたんですが、うつ病発症を境にルース→原石と好みが大きく変わったことをきっかけに、最近ではこのテーマについて色々と考えるようになりました。
以下は、このテーマに関連して筆者が個人的に考えたり感じたりしたことをまとめてみたものになります。
ちなみに、ルース(研磨品)とは言っても、原石の一部分にだけ研磨をかけただけ(元の結晶の形が充分に維持されている)のものから、球形や小判型に研磨されて元の原石の形をとどめていないものまで研磨の程度は様々で、原石とルースの厳密な線引きは困難なので、「原石らしさ」は研磨の程度に応じた連続変数的なものであると考えられますが、ここでは議論を単純にするため、原石の形をそれなりに残しているものを「原石」、ブレスレット用に球体に磨かれた石や指輪用にカットされた石を「ルース」の典型例としておきます。
ルースと原石が象徴するもの(筆者の見解として)
ルースの集め方は人それぞれで、できるだけたくさんの種類の石を集めることを重視する人もいれば、特定の種類の石だけを収集する人もいます。
色やインクルージョンに関する認識も人それぞれで、価格的に高く評価される色でインクルージョンができる限り少ないものを好む人もいれば、逆にその石としては珍しい色のものや、変わったインクルージョンがあるものをむしろ良いものと見なす人もいます。
筆者の場合は、石にはまり始めた当初は色々な種類の石を集めることを重視していましたが、ある程度の種類が集まってくると、特定の種類の石を集めようとするのではなく、色や輝きがあり、かつある程度のサイズがある石に出会ったらそれを購入するようなスタイルになってきました。
その後、海外で出版されている石のコレクター向けの本を読んだりするようになり、ある石の色としてこの色だと評価が高くなるが、この色だと価値が大幅に下がる、・・・みたいな知識も得るようになると、より評価の高いもの志向がどんどん強くなっていくようになります。
石というのは底なし沼なので、これ以上はないだろうと思って購入しても、必ずそれ以上にいい色や輝きを持った石が出てきて、より良いものを、さらにより良いものを、・・・となっていってしまうのは、石好きの人なら良くお分かりかと思います。
ルースはプロのアスリート的な存在
このようにさらに上を、上を、・・・と目指していくという点が関係しているのだろうと思いますが、コロナで鬱になってから強く感じるようになったのは、「ルースは疲れる」ということです。
考えてみると、ルースというのは石をひたすら磨きあげてキズやインクルージョン等の欠点をそぎ落とし、最大限に色や輝きを発するようにして作られているわけですが、これって人間の世界で言うとオリンピックで金メダルを目指すアスリートとかに近いイメージなんですよね。
自らを徹底的に鍛え上げて、より高みを目指していくという選手の姿には感動を覚えますが、それと同様に素晴らしいルースを見るとものすごい高揚感があって、石を見てテンションが上がり、さらに頑張るぞとやる気が湧いてきたという経験は何度もあります。
ただ、元気な時はそれでいいものの、コロナ鬱になって実感したのは、調子が悪いときには「常に上を目指していく」というのがしんどくなることがあるという点でした。
(ルースの楽しみ方として、色や輝きの面で一般的な評価としては高くないものを楽しむという方法もありますが、自分の場合はそれが欠点に見えてしまうのでできませんでした。ただ、最近はありふれた種類の石に特殊なカットを施すことで差別化を図ったりしているようなケースも増えていて、石の楽しみ方が増えているなと感じます。)
原石はありのままを楽しみやすい
ルースがオリンピックを目指すアスリート的だとすると、原石は(筆者にとっては)一般のスポーツ好きみたいなイメージです。
原石の場合、多少のインクルージョンや色むらがあっても、それを欠点としてではなく個性として見なしやすいという感覚があるのです。
形状にしても、一般的なルースの場合はカットが左右非対称だと欠点としか見なせないですが、原石であれば自然のなせる業ということであまり気にならないし、むしろ理想形から外れた変わった形のものが欲しくなったりもします。
もちろん、原石も上を上をとなるとルースと同じ底なし沼ですが、自分の中では欠点を「個性」として許容しやすいんですよね。
昨今流行りの「多様性の許容」ではないですが、コロナ鬱で精神的に低空飛行だった時の自分にとっては、ありのままの姿を肯定してくれる感じ満載の原石の方が合っていたということなんだと思います。
ちなみに、調子が良くなってからは、ルースにも原石にもはまっている自分というのが残されましたが、そこについては触れないようにしたいと思います。
パワーストーン業界の良いところ
コロナ鬱の前後で石の好みが大きく変わったという経験を通して改めて感じたのは、パワーストーン業界は超ポジティブ思考だなという点です。
例えば水晶の原石で言うと、特定の形状や特徴を持った石には特別な名前が与えられてマスター・クリスタルとか呼ばれたりするんですが、あまりに多くの形状・特徴があって、どれにも当てはまらない水晶は存在しないんではないか?と思えるほどです。
どんな水晶でも必ず「素晴らしいパワーを持った水晶」になってしまうということなのでありがたみはなく、価値のない石を高く売るための悪知恵という解釈もできます(実際、長いことそうだと思っていました)が、原石に親しみを感じるようになってからは、多様性の許容の一種とも言えなくはないし、一つとして同じ石はないわけなので限りある地球資源の有効利用という観点からも必ずしも悪いことではないのかもな、くらいに思うようにはなりました。
研磨品にしても、色むらだろうが大きな傷だろうが、どんなものでも「個性」に変えてしまうあたりはある意味清々しささえ感じます。
下の写真に映っている石は、「スーパーセブンの龍神ファントム原石」として販売されていたものです(模様が見えやすいように研磨されていますが、ルースというよりは原石に近い印象があります)。
伝統的なルースに関する価値観で言えば、余計なインクルージョンが大量に入った色むらのあるアメシストだという判断になるのでしょうが、パワーストーンの世界の人にかかると全く違ってきます。
複数の鉱物が入ることによって単一の鉱物では得られない相乗効果が得られ、また、ファントムも吉祥の印で運気を高めるものである、というような感じで、インクルージョンや色むらというネガティブなものが「個性」であったり「吉祥」だったりという風に、ポジティブに捉えられることになるわけです。
こうしたポジティブ思考を、そのまま良いものと受け止めるか、価値が無いものを高く売りつけるための売り手の策略だと見なすかは人によって様々だと思いますが、とにかく、色がよく透明で輝きのある石でなければダメだという価値観とは別の価値観が存在しうるし、石に対する向き合い方は人それぞれで良いのだということを教えてくれるという意味で、パワーストーン的な考え方も悪いものではないのかもしれません。
(うつ病になって原石に惹かれるようになったことで、よりそう感じるようになりました。)
前に別の記事でも書いた通り、業界的には人為的処理の情報開示はまだまだ課題が多いように見受けられますが、それを分かったうえでポジティブ思考で楽しむのは有意義なことだと思います。
原石とルースのパワーの違い:一般論として
ここまでは筆者の個人的な経験からの感想でしたが、「原石 vs. ルース」という話題に関して、特に「パワー」という点からもう少し一般論的なことも述べておきたいと思います。
原石 vs. ルースに関してよく聞く話
パワーストーン界隈でよく聞く話として、原石とルースではパワーの出方や質が異なるという説があります。
筆者が聞いたことのある話をいくつか挙げてみます。
- ルースは定期的に浄化しなければならないが、原石はそれほど頻繁に浄化をしなくても良い/浄化の必要がほとんどない(ルースの方がエネルギーの出方が強く(集中的に)なるが、そのぶんエネルギーが枯れやすいので浄化・チャージが必要になる)
- ルースは原石に比べて周りからのエネルギーの影響を受けやすい
- ルースは原石に比べてプログラミング(念を込めること)がしやすい
いずれの例も、原石の方がパワーが良くも悪くも安定しているのに対し、研磨された石は扱いやすくなるがその分ケアも必要になるという方向性の話になっています。
原石とルースで全く差はないという人は少なからずいるかもしれませんが、原石の方が不安定で周りからの影響を受けやすいという主張は見たことがないので、パワーストーン界隈では上記のような一般認識がある程度は普及していると考えてよいでしょう。
そもそも、原石であれルースであれ、石そのものにはパワー(単に所有するだけで得られる効果)はないというのが筆者の基本的な立場ですが、原石とルースの間には確かに様々な質的な違いがあると感じられることも結構あります。
以下では、なぜこのような感覚が生じるのかについて、自身の経験も含めて個人的な見解を述べてみたいと思います。
実際の見え方の違いから考えた場合
福岡パワーストーン愛好会(仮)の活動を始めてから、筆者は自分が持っている石を人(たいていは愛好会メンバー)に見せる機会がちょくちょく出てきまして、どの石に惹かれるかはかなり個人差があるということをよく理解しているつもりです。
ただ、そういった個人の好みを超えて、また、石好きかそれほど興味関心が無いかも別にして、「この石はなんかすごい!」と皆が口を揃えて言う石があります。
そういう「すごい」石に共通するのは、透明度(インクルージョンの有無という意味ではなく、第4のCとかCrystalと呼ばれるタイプの「透明度」のことです)があって輝きがある石(簡単に言うと、ピカピカ、キラキラ)だという点です。
とある海外のヒーラーは石のパワーの根源は「光」だと言っていますが、上記のような経験からも、光を凄まじく発するものに対して人間は本能的にパワーがあると感じるという傾向があっても不思議ではなさそうです。(よく考えてみると、虫なんかも光に向かっていく性質があるし、象徴的な面では闇の中で光を見出そうと懸命にもがくみたいな表現があったりもするし、とにかく光というのはパワーや希望といったものと結びつきやすいのでしょう。)
このようなことを前提にルースと原石を見てみると、上述の「パワーについてよく言われること」というのも何となく納得ができる感じがします。
ルースは研磨されているので表面がツルツル、ピカピカで、カットによって内部からも強い輝きを放つのが普通ですが、ルースというのは皮脂や汚れが表面に付着すると輝きが鈍くなり、暗く沈んだ感じに見えてしまいます。
もちろん、洗浄したりして汚れを落とせば元通り輝きを取り戻しますが、常にその石の最良の状態を保とうと思うと、こまめなケアが欠かせません。
参考までに、汚れが付いた場合と付いていない場合でどのくらい輝きが違うかを比較する動画を撮ってみました。1分ほど手でべたべた触った状態と、洗浄直後を比較しています。同じ環境で撮影しても、皮脂が付いた状態だと輝きが鈍くもわっとした印象になるのが伝わる(とよいな)と思います。1分程度触っただけでもこのくらい変化するので、長期間お手入れしないともっとひどくなります。】
一方、研磨されていない原石は(ものすごく質の良いものを除けば)通常は表面がすりガラスのようになって曇っていたり、長い年月を雨風に晒された関係でガタガタに荒れていたりするのが普通で、そうした石は手で頻繁に触ることによって皮脂が表面に着いたりしても、見かけ上はほとんど影響を受けません。(以下の写真の原石は表面がすりガラス状になっていて、触ってもほとんど見た目に違いが出ません。)
「パワー」=「石が発する光」と見なしたうえで、こうしたルースと原石の特徴を考えてみると、パワーストーン業界でよく言われている「ルースは定期的に浄化が必要だが原石はそれほど浄化はしなくてよい」とか、「ルースは原石に比べて周りからの影響を受けやすい」というのは、確かにその通りであるという印象を受けます。
パワーストーンの「浄化」というのは、物理的に汚れを落としてきれいにすること以外にも象徴的な意味を含む行為であるとは思いますが、ルースと原石の実際の見え方の違いという点からはそれほど的外れでもないのかもしれませんね。
なお、パワーストーンの浄化については色々と考えるところがあるので、また機会があったら記事にしてみたいと思います。
象徴的な意味の面から考えた場合
昔から、天然石は自然のエネルギーが凝縮された存在だと見なされてきた節があります。
今日では、都市化が進んで自然を身近に感じにくくなりつつあるわけですが、パワーストーンを求める人が絶えないというのは、自然の化身たる天然石を身近に置くことで、自然とのつながりを感じたいという無意識の欲求が背景にあるとも感じられます。
パワーストーンの売り文句で、「地中奥深くで何億年もかけて形成された石に秘められた大自然のパワー・・・」みたいなものがありますが、こうした面から考えると、研磨されていない原石は、まさに自然そのものを象徴する存在だと言えるでしょう。
原石というと、多少欠けていたり表面がごつごつ・ざらざらしているようなのが一般的なイメージかと思いますが、原石はキズや不完全な部分も含めてありのままの姿を楽しむものなので、そうした部分も含めて「自然」らしさの表れだと見なすことができます。
(中には研磨無しでもピカピカで非常に美しい形状をしたものがありますが、そうしたタイプのものはまさに自然が生み出した奇跡的な存在であり、やはり自然の偉大さを象徴するものになるはずです。)
存在が「自然」そのものなので、「原石は安定している」というイメージと結び付くのも特に不自然ではありません。
一方で、ルースは人の手によって意図的に手が加えられ、より輝きやすいようにされるだけでなく、球形やハート形など、特定の意味を象徴する形が付与されることもあります。
原石が自然そのものだとすれば、ルースは自然からの恵みを人にとって使いやすい形に変えて利用されるものだと見なせるでしょう(もちろん、原石だって母岩から切り出されたりして人の手が全く加わっていないわけではないですが、程度の違いということで)。
「ルースは原石に比べてプログラミング(念を込めること)がしやすい」のように言われるのも、研磨の時点で何らかの用途・機能が想定されているわけなので、例えばハート形のルースだから恋愛のお守りのシンボルとして、・・・というような形で用いやすくなる、といったことを指しているのだと考えれば、不自然ではないというか、むしろごく当たり前のことを述べているだけだ、ということになるのかもしれません。
おわりに
原石とルースのパワーの違いについて、個人の経験などから色々と書いてきました。
既に述べてきた通り、石のパワーというのは、一般論的にはその石の発する「光」と相関があるのだと筆者は考えていますが、その一方で、それほど輝いているわけではなく地味な石なのになぜかとても惹かれるということもよくあることです。
そうして惹かれる石こそが自分にとって相性のいい、まさに自分だけのパワーストーンになるのだと思いますが、うつ病をきっかけに石の好みが大きく変わったという筆者の例が示すように、どのような石に惹かれるかというのは体調や状況によっても変わってくるようです。
パワーストーン業界では「自分の直感に従って選べ」とよく言われますが、確かにそれが最もシンプルで良い方法なのだと感じています。
この記事を読んでくださった皆様に良い石との出会いがありますように。
私も最近1個原石をヤフオクで購入しました。レッドスピネルの原石1.55ct
です。原石としては透明度も高く明るいところではしっかりと赤色(ワインレッド)の発色が認められます。いわゆる宝石質の原石です。
形状はスピネルのオーソドックスな形状といわれる正八面体ではないのですが
まるでペン先のような形状。また見方によってはアフリカ大陸のような形状にも見えます。石のまま持っているつもりでしたがなんか気に入ってしまって持っていた18kのリングに石留してしまいました。原石だとルースのようにきらきら光らないので
悪目立ちしないところがいいです。男性の私でも気兼ねせずリングをしたまま街を
歩けます。
またスピネルの原石は形状がかっこいいのでかえってルースよりもそのままの方が
ジュエリーとして魅力的になると思います。
興味深いコラムありがとうございました。
レッドスピネルの原石ですか、いいですね。
レッドと言っても色味にはかなり個体差がありますし、形状まで含めるとそれこそ同じものは存在しないと思うので、気に入った石と出会えたというのが何よりだと思います。
気軽に身につけることができるという点も素晴らしいと思います。
どうぞ大切になさってください。
コメントありがとうございました。